まだ、いける!

我が家に現役の経営者さんを招いて創業の経緯や苦労、今目指すところなど、大きな講演会では話してもらえない生々しい話を語って頂く、「さなぎの会」も第六回を迎えました。

今回ご登壇頂いのは、株式会社BRASTの柏原社長34歳です。

とってもファンキーないでたちですが、チャレンジを楽しむその生き方に非常に力づけられました。

創業の経緯は、18歳でお子さんができて、とにかくお金を稼がなくてはいけない状況になったこと。

足場工事の職人、いわゆるとび職として個人事業でスタート。

「みんなが休んでいる時にも働いてました」

そう語る柏原社長は20歳の頃には月に100万以上を稼ぐ職人に。

当時、周りの仲間が「いいなあ、お前は稼いでいて・・」

「だったら働けよ」と言ったそうですが、

「お前みたいに稼げる仕事じゃないし。」

若いうちから十分休みながら稼ごうなんてムシがよすぎるとばっさり切り捨てる様カッコよかった。

そうだその通り!!

当時、たくさん稼ぎながらもいつも不安に思っていたこと。

体力勝負で歳をとったら仕事ができなくなる。

転機は25歳の時。当時の取引先の大手ゼネコンからある部署の責任者としてうちの会社に来ないかと声がかかった時。

そのポジションをひきうけると会社員になるため稼ぎは今までの三分の一。

それでも将来の自分のために、今、現場仕事をやるより、ここで学べることがあると考えて引き受けたとのこと。

できそうでできないよ、こりゃ。

突然やってきたよそ者に社内でも多くの反対の声があったとか。

そりゃそうだ。

ある日、自分の部署が同業他社への突然の身売り話を聞かされ

柏原青年は多額の負債を背負いその部署を買い取り社長就任。

一緒に働いていた部署のほとんどがついてきてくれたそうです。

当時28歳。

会社員時代に看板ではなく、男、柏原として自分の名前でたくさんの取引先と信頼関係を築いていたため、仕事はあったそうです。

経営者として立ってからは、取引先がお金を払ってくれないこともあったとのこと。

それでも、社員が一生懸命仕上げた仕事に対価が払われないということは許せず、やりたい仕事ではなかったけど、お金を取り立てに行く仕事もした、と。

このくだりは生々しくてかけませんが、男としてはしびれる話でした。

一番みじめだったのは自分がやると決めた仕事なのにお金がまわらず親に頭を下げたとき。

社員のためにというよりも、俺がやりたいことをやってるだけですよ、と笑いながら話していた。

足場工事からスタートした会社も順調に大きくなった。

事務員さんが辞めるという話になったとき、理由を聞くと仕事を続けたいと思ったけど子供ができたので迷惑になると思って。

だったら、託児所をつくればいい!

そんな発想で託児所がスタート。

今では託児所も事業化して地域の子育てママたちの力になっている。

もともと子供好きなため、毎日託児所に顔を出してから出社するようになると、ふと毎日コンビニ弁当が昼食の子供に気づく。

ちゃんとした食事をとらせてあげたい。

よく考えると独身の従業員もしっかりと栄養のある食事がとれているのだろうか。

そうだ、食堂をつくろう。

そんな発想で食堂スタート。

今ではこちらも事業化して、地元の人に愛される食堂に。

そして、託児所にいる子供たちをみていると、いつも部屋の中にいて運動不足なんじゃないかと思ったそうです。

運動をさせてあげたい。

そう考え、なんと公園までつくってしまいます。

(ジャングルジムやすべり台って超高え!)

現在34歳。

七十人の社員さんが働く会社に。

そして、千葉県優秀経営者表彰を受賞。

「チャレンジって超楽しく無いですか?」

そう言って子供のように笑う笑顔が超かっこよかった。

目先の損得ではなく自分の欲しい人生を得るという観点に立ち、物事を選択し、それを世の中のためにという観点と結びつける発想が天才的でした。

プライベートな少人数の会にて、オープンに人生を分かち合ってくれた、柏原社長に感謝。

さなぎの会は「生きるを変える、働くを変える」を提供します。

柏原社長インタビュー(※さなぎの会映像ではありません)

http://buzip.net/chiba/brast/president/

ブログ

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