鰻屋の大将の志
お昼ご飯を食べそびれた15時。
夏に向けての戦いを既にはじめているダイエッター柚木は蕎麦でも食べようかと地元の商店街をさまよっていた。
すると、鰻屋さんが目に入り、
疲れを取るにはビタミンBだ!
ダイエットとは全く関係ない軸で自分を説得し、鰻屋さんへIN。
時間帯的にもお客さんは私一人。
待つこと20分。
鰻を提供し終わり大将とのトークセッションがスタートした。
スケールの大きな素敵な大将だった。
お店には震災の方々からの感謝の寄せ書きが飾ってあった。
もう何度もボランティアで鰻を提供しに行っていた。
たくさんの感謝状の中に、小学生に提供したときの感謝の寄せ書きが飾ってあった。
その活動理由が私の考える鰻屋さんの枠を超えていた。
大将は語ってくれた。
「子供達にとっても大変な経験だったと思う。
でもそれを辛い思い出としてだけ残すのではなくて、
食べ物も手に入らないそんな時にだからこそ、本物のうまいものを食べた、という体験をして欲しい。
そんな経験をした子達が大きくなり、同じように窮地に立った人を見た時に、その時のことを思い出して、人を助けるような人間に育つのではないかと考えているんです。」
鰻を通じて教育ということを考えていた。
鰻をはじめて食べた子供もたくさんいたそうです。
その道40年の親父がつくる丁寧に仕上げたとろける鰻を食べた子供達。
何らかの影響を受けていることは間違いないです。
その話をしていた時、ふと自分が学生時代に人生の壁にぶち当たり埼玉から福岡まで自転車で旅した日のことを思い出した。
柚木23歳の頃を回想。
たまたま立ち寄った愛知県の味噌カツ屋さん。
薄汚れたジャージの私に味噌カツ屋さんの店主が興味深そうに
「なにしてんだ?」と話しかけてきた。
実はかくかくしかじかで自転車で旅してまして。と私。
「箱根峠危なかっただろ?」と聞かれた時に、
量販店で1万円で並んで買ったマウンテンバイクだったので後ろに荷物をくくりつけていて、ハンドルが軽すぎてもってかれちゃって超危なかったです、と答えた。
その後、店主がカウンターからいなくなったので奧さんと思しき方と雑談していた。
しばらくすると、店主がちょっとこっち来い、と外から手招きしている。
出てみると、店主が手に自転車の前かごを持っていた。
自分の乗っていた自転車からそれをとって私のためにつけてくれようとしていた。
いやいやマウンテンバイクだから前カゴの付いてたら変でしょ!
と考える間も無く、とてつもない感謝が湧いてきた。
なんではじめて会った私のためにここまでしてくれるんですか?
と聞いた。
別にお前のためにやってるわけじゃない。
と言われた。
情けは人の為ではなく、自分の為だと。
巡り巡ってかえってくるんだと話してくれた。
あの時のことは、ここでこうやって思い出すように、私の中に根付いている。
いつもいつも意識してる訳ではないが、きっと何かの判断や選択の際に影響を及ぼしてるんだと思う。
仕事でもプライベートでも、たくさんの人が周りにいてくれて協力してくれてる私をくれたのは、味噌カツ屋の店主かも知れない。
脱線したので話を鰻屋の大将に戻します。
若い頃は儲けることに走った時代もありますよ、と笑いながら話してくれた。
今はただの鰻屋で終わりたく無い、と言っていた。
奧さんには奥さんの人生が、息子には息子の人生が
そして俺には俺の人生がある。
何かのせいにして、できない理由を探すんじゃなくて、前に進みたい。
失敗がない人生なんてつまらんじゃないですか。
そう語る大将75歳。
後光が差していた。
鰻という一つの道を極めたことから可能性が広がり、やっていることが教育にまでつながっている。
この人、鰻界のイチローだなと思った。
鰻界のイチローに私もインスパイアされている!!
自分が欲しい成果のために道を極めていくことが結果として、人に影響を及ぼすことになると知った今日。
自分が欲しいものを得たり欲求を最大限に通そうとすると結果的には相手の欲求も叶えないとそれはできない。
とことん自分の考えを押し通そうとすると相手の幸せを考えざるを得ない。
自分に真剣であることは人の為なのだ。
大将ありがとう、俺、器の大きな人間になるよ。
心で呟いた。
お会計時、
お釣りは大将の活動にあててください。
そう言って颯爽と去る自分をカッコいいと思ってしまった成長の余地の大きな私。
愛してます。
私と世界を。